「橋本郷土カルタ」であなたも “橋本の達人”に❗️『え』

こんにちは🤗 めぐり報です❗️

「橋本郷土カルタ」であなたも
“橋本の達人”に!!✨

今回は34枚目の「え」のご紹介です。

駅の碑に 先人達の 夢偲ぶ」  (橋本駅設置記念碑)

 

 

1.橋本駅ができるまで

橋本駅は明治41年(1908年)9月28日に、民間の横浜鉄道(株)の駅の1つとして開業しました。
しかし、当初橋本駅は作られる予定がなく、東神奈川・小机・中山・長津田・原町田・淵野辺・相原・八王子の8つの駅のみで開業する予定でした。

カルタの解説にもあるように、それを知った地主の相澤安右衛門氏や相澤菊太郎村長他、地元の有志達が鉄道会社や県庁に再三陳情書を提出し、駅設置負担金1000円と駅の用地(2.6ha)を提供することでようやく駅の設置が決まりました。

 

開業の3年前の明治38年(1905年)9月24日、周布神奈川県知事と吉田高座郡郡長などが橋本駅の場所を決定するために、現地確認をしに来ました。
しかし、駅の設置候補地付近は一面の桑畑で、(今のようにカフェがあるわけでもなく:コーヒー:日差しを遮る場所が全くありませんでした。

そこで、近くの畑に生えていた大きな柿の木の木陰で、駅の場所の最終決定をしたそうです。


後に大正15年(1926年)10月にこの柿の木があった場所に、相澤安右衛門氏がこの由来を記した『橋本駅設置記念碑』を自費で建立しました。
碑には吉田郡長の『風かほる 駅やむかしの 桑のはた』という句が刻まれています。

その後駅周辺の開発が激しくなってきたため、この碑を当主が昭和59年(1974年)に相澤家の庭に移設し、かわりに『橋本駅設置のゆかりの碑』を設置しました。

橋本駅設置記念碑 表

 

橋本駅設置記念碑 裏

橋本駅設置のゆかりの碑

 

2.横浜鉄道(横浜線)の昔と今

明治41年(1908年)に開業した横浜鉄道は、東神奈川〜八王子を結ぶ全長42.6kmの路線で、橋本駅も含めて9駅でスタートしました。(今は20駅です)

横浜鉄道が作られた一番の目的は、輸出用の生糸の輸送でした。
つまり長野・山梨・群馬から八王子に集められた繭を八王子で生糸にして、途中橋本などの沿線の駅からも生糸を集めながら、横浜から外国に輸出するために作られた鉄道です。
そのため、当初は旅客よりも貨物輸送に重点が置かれていました。
当然ながら初めの頃は蒸気機関車で、客車が3両で残りは貨車でした。:蒸気機関車:

1日7往復運行し、東神奈川〜八王子の所要時間は101分でした。
(今は55~60分)
また、運賃が高かったため、最初の4ヶ月間の乗客数は全線で37人だったそうです。
(平成28年…2016年の橋本駅のみの1日の乗降人員は、横浜線・相模線・京王線を合わせて22.6万人で、町田・八王子に次いで3番目の多さだそうです)

 

«開業後の道のりは…»

*大正6年(1917年)  全線を鉄道院(後の国鉄)が買収し、名称が「横浜線」になる。
*昭和16年(1941年)  全線電化される。
*昭和62年(1987年)  国鉄民営化により、
    東日本旅客鉄道(JR東日本)所属となる。
*昭和63年(1988年 )全線で複線化完了。
*平成20年(2008年)  開業100周年を迎える:ワクワクハート:

 

「村の発展のために駅と鉄道は不可欠❗️」と長い間熱心に駅の設置運動に奔走し、土地や資金を惜しげもなく提供してくださった先人達の思いが、橋本駅の設置を実現させ、現在の便利で発展した橋本につながっていることを思うと、その先見の明に深く感謝するしかありませんね:3つのハートの笑顔:

 

:トランプのダイヤ:今回の参考文献は…
·「横浜線開業100周年」
(横浜線開業100周年を祝う相模原記念事業実行委員会 編)
·「懐かしい沿線写真で訪ねるJR横浜線·根岸線」(生田誠 著)
·「橋本の昔話」(加藤重夫 著)
·「『橋本郷土カルタ』で巡る橋本の歴史と文化」(井上研一 著)
·「橋本の歴史ガイドブック」(橋本の歴史を知る会 編)

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