「橋本郷土カルタ」であなたも “橋本の達人”に!!『ふ』
こんにちは🤗 めぐり報です❗️
「橋本郷土カルタ」であなたも
“橋本の達人”に!!✨
今回は32枚目の『ふ』のご紹介です。
「フイルムが 雨降り切れたり 朝日館」
(朝日館)
大正初期の橋本地区の娯楽は年に1〜2度、露天の仮舞台で行われる手踊りや小屋がけの芝居や、義太夫のおさらいの会などが中心でした。
朝日館というのは、大正8年(1919年)の9月に、台町通り(でえまちどおり、現七夕通り)の『魚兼』という鮮魚店(現在は美容室)があった所に作られた娯楽施設です。
朝日館は2階建てで、収容人数が600人ほどの小屋でした。
同じ頃にできた近隣の娯楽施設には、上溝会館、田名の久楽館、津久井の久保沢館、町田市相原の遊楽館、新戸の三浜館などがあり、橋本の朝日館と同じくそれぞれの地区の娯楽の中心的な存在になりました。
カルタの説明にもあるように朝日館の興行の内容は、旅役者の興行や義太夫語り、浪曲、新派の芝居と変わっていき、そのうちトーキー映画の全盛時代を迎えました。
しかし現在のデジタル映画と違い、当時はあちこち回ってきたフイルムの映画だったので、傷みが激しくて画面に縦の筋がたくさん入り、まるで雨が降っているように見え、傷による雑音も多く入っていました。
時には熱や傷が原因でフイルムが切れてしまい、繋ぎ合わせる間観客が暗い中で待たされる、ということもあったようです。
それでも朝日館は唯一の娯楽施設で、今ほど娯楽の多くない当時、映画は大人気だったので大変繁盛したそうです。
今の清潔で明るく、スクリーンが沢山あるシネコンに比べると、昔の映画館は子どもにとっては暗くてタバコとトイレのにおいがする、ちょっとこわいような空間でした。
(『101匹わんちゃん』などの映画は大好きでしたが)
そんな朝日館でしたが、昭和46年(1971年)に閉館となって取り壊されたので、今はもう朝日館があったことを知っている人はとても少なくなりました
『若大将シリーズ』や『鞍馬天狗シリーズ』『裕次郎シリーズ』などが特に人気だったそうです。
(その当時のポスターのコピーを持っていたのですが、どこかにしまいなくしてしまい、今回ご紹介できないのが本当に残念です)
朝日館の閉館から平成16年(2004年)にシネコンのMOVIX橋本ができるまで、33年間も橋本には映画館がない年月があったわけですね。
その昔、台町通りに人々から愛された娯楽施設の朝日館があったことを初めて知った…という方も多いのではないでしょうか。
★今回の参考文献は…
- 『橋本の昔話』(加藤 重夫 著)
- 『橋本の歴史ガイドブック』(橋本の歴史を知る会 編)
- 『相模原市今昔写真帖』(林佳 孝 他 編)