「橋本郷土カルタ」であなたも”橋本の達人”に!!『を』
こんにちは!めぐり報です!!
「橋本郷土カルタ」で
あなたも”橋本の達人”に
今回は12枚目の「を」のご紹介です。
「秋葉大権現 風向きをかえて 寺守り」
(秋葉大権現)
1.そもそも秋葉大権現とは?
秋葉大権現は、秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神様で火伏せの神様として知られています。
本社は、静岡県浜松市にある秋葉山本宮秋葉神社で、江戸時代に全国に分社が作られて『秋葉講』という講が各地で結成されました。
カルタの説明にもあるように、香福寺の西側の旧国道16号線に面した角地にいくつかの石碑が並んでいる場所があります。(信号待ちの時に目にしたことがある方が多いと思いますが、それらの石碑がどういうものかは、あまりご存知ないのではないでしょうか?そちらの解説はまたいつか…)
秋葉大権現の石碑はその中央にあり、天和5年(1619年)に建立されました。
カルタに取り上げられている出来事は、今から179年前の天保12年(1841年)に起きた大火のことを指しています。
両国橋のあたりの民家から出火した火が、橋本宿の街道沿いに28戸、80棟を焼き尽くして香福寺まで迫りました
しかし、この秋葉大権現の碑がある場所で急に風向きが北から東に変わって鎮火し、香福寺は延焼を免れました。
このことから火伏せの神様である秋葉大権現への信仰が、更に厚くなったとのことです。
尚、この大火によりこの時代のことを知るための資料や物が消失してしまい、ほとんど残っていないのが大変残念なことです。
また、この街道沿いに先祖代々住んでこられた方のお話では、この大火の後、各家に必ず1棟は蔵を造るようになったとのことで、資金が乏しい家には何軒かで無尽をして協力して蔵を建てたそうです(無尽…互いの掛け金で金銭を融通することを目的とする組織)
今でもこのあたりの、何軒かの古いお宅に蔵が残っているのを見ることができます。
この地区では『本町秋葉講』があり、毎年11月中旬には『火伏せ祈願祭』の法要を香福寺のご住職と講の皆さんで行っているそうです。
こちらの講では、静岡県袋井市の可睡斎三尺坊大権現を本山とし、講の全員と代表の数名とで隔年で交代して本山へ参詣しているそうです。
2019年11月20日に、秋葉大権現の碑の両側に『奉納 秋葉大権現』と書かれた「火伏せ祈願祭」の幟が立てられ、快晴の青空にはためいている様子を初めて見かけましたので、写真に撮らせていただきました。
名前がよく似ているので、あの「秋葉原」と「秋葉大権現」の関係を調べてみました。
明治2年(1870年)2月に東京で相次いで大火が起こり、政府が翌年遠州(静岡県)から火伏せの神様、秋葉大権現を勧請して鎮火社(後の秋葉神社)を建立しました。
社の周囲に作られた延焼防止のための9000坪(約3万平方メートル)の火除け地だった空き地が『秋葉ノ原』(あきばのはら)『秋葉っ原』(あきばっぱら)と呼ばれました。
これが現在、家電やアニメなどのカルチャー文化で有名な『秋葉原』(あきはばら)の名前の由来と言われているようです。
読み方が「あきばはら」ではなく、「あきはばら」なのは、駅の名前から来ているのでは…との説もあるようですが、諸説ありそうです。
ちなみに秋葉原を略して言う時は「あきば」と言っていますね
歴史さんぽ:橋本北地区コース8