「橋本郷土カルタ」であなたも “橋本の達人”に!!『も』

こんにちは🤗 めぐり報です❗️

「橋本郷土カルタ」であなたも
“橋本の達人”に✨

今回は45枚目の「も」のご紹介です。

「持ち上がった いやたまげたな 病癒え」(牛久保家の「持ち上げ観音」)

 

1.持ち上げ観音とは?

持ち上げ観音というのは、願い事を念じながら観音像を持ち上げた時に、軽く感じたら願いが叶い、重く感じたら願いが叶わない…
と伝えられている比較的小さめの馬頭観音像です。

相模原には、カルタで取り上げている元橋本の牛久保家、上九沢の梅宗寺、相原、鵜野森の4箇所に、持ち上げ観音があると言われています。馬頭観音は旧市域だけでも150体以上あるそうですが、不思議な力を持つ「持ち上げ観音」の別名を持つものは少ないようです。

 

2.牛久保家の持ち上げ観音の言い伝えとは?

牛久保家は、前回ご紹介した橋本宿の「下宿」にある旧家で、市の「登録有形文化財」に指定されている立派な長屋門があるお宅です。

牛久保家の長屋門

 

牛久保家の玄関脇にある十八畳の座敷に、仏壇と並んでお厨子があります。その中に縦38cm、横24cm、重さ約2㎏ほどの舟形石で、頭上に馬の頭を戴いた馬頭観音像が大切に安置されています。
これが不思議な力がある、と言われている「牛久保家の持ち上げ観音」と呼ばれる観音さまです。

(お厨子と持ち上げ観音の写真)

(持ち上げ観音の写真)

牛久保家は、代々馬を長屋門で飼っていましたが、特に「俊こう…(馬偏に光)」(活字が出ないので平仮名で失礼します。また、俊は駿ではないか…との説もあります。)という名の馬は、大変賢くて姿形も立派な名馬でした。

当主の牛窪安兵衛氏(別名、牛窪恒右衛門尉季氏)はこの馬をたいそう可愛がっていました。八王子の千人同心でもあった安兵衛氏は八王子に行く時は、必ず「俊こう」に乗って往復していたそうです。

しかし、文政8年(1825年)11月20日、安兵衛氏が所用の帰りに下九沢あたりに差し掛かった時に、何と急に「俊こう」がその場に倒れて死んでしまいました。pastedGraphic.pngpastedGraphic_1.png

安兵衛氏はたいそう悲しみましたが、「俊こう」の大きな亡骸を連れて帰れなかったため、その場にねんごろに埋葬し、馬頭観音の石像を建立しました。

そして、以後供養を怠らなかったそうです。

ところが、その65年後の明治20年(1887年)8月に、下九沢の人達がこの馬頭観音像を荷車に乗せて、牛久保家へやってきました。(姓の表記が、明治初期に牛窪→牛久保に変わったそうです。)

人々の話によると、馬頭観音像の前を通るたびに「橋本に帰りたい…橋本に帰りたい…pastedGraphic_2.png」という小さい声が聞こえるのでかわいそうになり、大切に牛久保家まで届けにきた、とのことでした。

牛久保家の人々は、もちろん喜んで馬頭観音像を引き取り、仏壇の隣に安置し、大切に供養に勤めて現在に至っているとのことです。

その後、名馬「俊こう」の霊験なのか、この像に願いをかけると病気が治ったり、失せ物が出てきたりするようになり、願いが叶う時は石像が軽々と持ち上がり、叶わない時は重くてなかなか持ち上がらない、という評判が近隣に広まりました。

戦前まで、はるばる多摩や八王子の方からも、たくさんの人々がお伺いを立てるために「牛久保家の持ち上げ観音」に参詣に来たそうです。

 

不思議な霊験の一番最近の例では(…と言っても70年以上前ですが…。pastedGraphic_3.png)戦後すぐに、近所の家で預かっていた近隣一体の分の「農業機械用の油の配給券」を紛失pastedGraphic.pngした時に、この持ち上げ観音に「配給券が見つかりますように…」と願をかけた所、持ち上げ観音がスッと持ち上がりました。pastedGraphic_4.png

そこで大急ぎで家に帰ってもう一度探したら、仏壇の引き出しの裏に配給券が入った封筒が貼り付いているのを見つけたそうです。pastedGraphic_5.pngpastedGraphic_5.pngpastedGraphic_6.png

もちろん、また大急ぎで牛久保家へ戻り、持ち上げ観音さまにお礼を申し上げたとのことです。

(牛久保家の持ち上げ観音は個人宅にありますので、非公開です。)

 

3.馬頭観音とは?

馬頭観音は観世音菩薩の化身で、六観音の1つです。

身体が人で頭が馬の姿のものと、身体も頭も全部人で頭の上に馬の頭飾りを戴くものがあり、牛久保家の持ち上げ観音は後者にあたります。(馬頭観世音…と文字だけを彫った石碑もあります。)

馬頭は諸悪魔を下す力を象徴し、煩悩を断つ功徳があるとされています。

しかし、一般には人々の暮らしに深く関わっていた馬の、無病息災の守り神や、馬の供養塔として信仰されているものが多いようです。

牛久保家の「俊こう」を悼んで作られた馬頭観音像と同じく、東橋本4丁目にも比較的新しい(昭和22年…1947年)に建立された馬頭観音の石碑があります。

こちらはこの近所の農家が、軍用馬を譲り受けて、枯れ葉などの運搬作業をさせていましたが、その馬が当時欄干がなかった蓬莱橋で、荷車の車輪が落ちて荷車ごと境川に転落して、死んでしまいました。pastedGraphic.pngpastedGraphic_1.png

家族はこれをたいそう悲しんで、馬のたて髪を埋めてこの馬頭観音の石碑を建立したとのことです。

皆さん も、これから馬頭観音の像や石碑を見かけたら、このあたりに大切にされていた馬がいたのかな…と思いを馳せてみてくださいね。pastedGraphic_7.png

(東橋本の馬頭観音の石碑の写真)

 

pastedGraphic_8.png今回の参考文献は…

·「橋本の昔話」(加藤 重夫 著)

·「橋本郷土研究会資料 復刻版」

      (橋本の歴史を知る会 復刻)

·「橋本の歴史ガイドブック」

       (橋本の歴史を知る会 編)

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