「橋本郷土カルタ」であなたも “橋本の達人”に!!『こ』
こんにちは🤗 めぐり報です❗️
「橋本郷土カルタ」であなたも
“橋本の達人”に✨
今回は33枚目の「こ」のご紹介です。
「九日の 日の出で命名 旭小」
(旭小学校)
橋本地区で1番古い学校は、旭小学校です。
現在の場所で旭小の名前になってから、2021年で120年になります。
最初は明治35年(1902年)9月1日に『神奈川県高座郡相原村立尋常高等相原小学校』という名前で開校しました。
しかし、わずか5カ月後の明治36年(1903年)2月10日に『相原村立尋常高等旭小学校』と名前を変えました。
このエピソードは、旭小学校の児童の皆さんはもちろん、先生方や保護者の皆さんにはとても有名ですが、今回はちょっとだけ詳しくご紹介します。
なぜこんなに早く学校名を変えたのかというと、
創立当初から相原・橋本・小山地区の住民がそれぞれ、
相原は村の名前であること
橋本は学校の所在地であること
小山は通っている児童数が一番多いこと
を理由に自分の地区の名前をつけるべきだ❗️とお互いに譲らず、ずっともめていたのが原因です(やれやれ…)
その前に旭小学校ができるまでの道のりをおさらいしますと…
明治6年(1873年)に瑞光寺にあった寺子屋が『本燃学舎』という学校になり、
明治8年(1875年)に『橋本学校』という名前に変わり、児童数が増えたため…
明治30年(1897年)に天神山と呼ばれた場所に移転。
明治35年(1902年)に現在の場所で『尋常高等相原小学校』として開校。
相原と小山に分教場が設置され、3年生までは分教場に通い、4年生以上が本校に通ったそうです。
開校してからも学校の名前を巡って、村会を何回開いてもお互いに譲らずに決着しなかったので、当時の村長の桐生増兵衛氏は、明治36年(1903年)の2月8日に村会を開き、「今夜は徹夜してでも校名を決めたい」と審議に入りましたが、やはり三者譲らず夜中になってしまい、議員達は村役場の2階のこたつで仮眠してしまいました
村長だけは眠れないまま夜を明かし、ふと2階の雨戸を開けてみると外には美しい一面の雪景色が広がって朝日に輝いていました
そこで、議員達を起こして「今日は九日です。九と日を組み合わせて旭という校名ではどうですか❓」と提案したところ、皆口々に賛成して 校名が『尋常高等旭小学校』に決まり、一同万歳を唱えて散会したとのことです。
(橋本郷土カルタではこちらの説を採用しています)
村会が開かれたのは2月9日で、なかなか校名が決まらず全員で投票を行ったところ、「朝日」「東雲(しののめ)」その他が数票あり、朝日が多数で採用されましたが『朝日』という字に難がある…ということになり、たまたまその日が2月9日だったので、字を組み合わせて『旭』と決定した、とあります。
とにかく2月9日という日付と『九日』の字を組み合わせて『旭』にしたのは確かなようですね
このように『旭』は地名ではなく『九日』という日にちから来ていることがわかりました。
今、旭小学校の他に『旭』の名前がついているものに、
- 旭中学校
- JA相模原市旭支店(旭農協)
- 『旭農協前』バス停
- 東橋本の『旭住宅前』バス停
の4つがあります。
旭中学校の場合は、昭和24年(1949年)5月の開校当初まだ校舎が完成していなかったので、しばらくの間、旭小学校に間借りした状態で『高座郡相模原町立旭中学校』としてスタートしたからです。
そのため、『橋本中学校』は存在しないのです。
なお、校名でもめた相原・橋本・小山地区ですが、その後無事に(❓)相原小学校(昭和26年-1951年)、橋本小学校(昭和49年-1974年)、小山小学校(平成15年-2003年)とそれぞれの地区名がついた小学校ができました。
(もちろん、明治時代のようなもめ事とは全く無関係です )
★今回の参考文献は…
- 『橋本の昔話』(加藤 重夫 著)
- 『橋本郷土研究会資料』(南平 幸治 編)
旭小学校:橋本6-15-27