こんな所に歴史あり【2018.2月号】
生糸輸送を主な目的として、明治41年に横濱鐵道という私鉄によって
敷設された横浜線。
当時、9駅だった東神奈川ー八王子間を100分以上かけ1日7往復。
農業が主な産業の路線だったので乗客も少なく、電化や複線化は遅めでした。
そんな横浜線が国有化されたのは大正6年。
当時は蒸気機関車でしたが、時代とともに電化が進み
昭和7年、東神奈川ー原町田(現・町田)間が電車化。
しかし、八王子までは蒸気機関車やガソリン車だったので、
乗客は乗り換えを余儀なくされていました。
その後、全線電化になったのは昭和16年でした。
昭和27年から葡萄色の73系、同47年からは、
スカイブルーとウグイス色の二色で運行されていた103系が活躍。
この車両は関東各地からのおさがりが多く、2色混在や3色混在編成もありました。
そして昭和63年、横浜線は大きく動きます。
全線複線化が完成。
快速運転の開始。
更にはウグイス色と緑ラインの205系が投入されます。
このラインは現在のE 233系にも引き継がれています。
都市化が進み住宅も増え、現在では20駅。
初年度37人だった橋本駅の一日平均利用客数も
平成28年には6万5000人を超え、町田、八王子についで第3位。
そんな横浜線は今日も多くの人を運んでいます。
byまさし
写真提供:Akihiro.T
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