橋本人を発見!【2015.6月号】
志美津屋 清水 秀信さん
饅頭店から和菓子店へ・・・
地元に根付く飽きの来ない味
「酒饅頭のみを 並べる店の前 朝ごと通る のちの やすらぎ」
サラダ記念日で発表した俵 万智さんの句。
当時、酒饅頭店だった志美津屋を、品数多い和菓子店に成長させたのは
『選和菓子職』の認定者、3代目の清水秀信さん。
選和菓子職とは誰もが認める優れた和菓子職、創造的な手作り和菓子が
できる技術があると全国和菓子協会が認定したもので
その認定は難易度が高いとされる。
取材には2代目で母親の則子さんも参加し、店は家庭的な雰囲気だった。
そんな志美津屋の歴史は古く、昭和29年の創業。
元々あった饅頭店『たきの屋』の閉店をきっかけに、
祖父にあたる先々代が酒饅頭作りの技術を引き継いだ事から始まる。
昔は各家庭でも作られていたほど相模原を代表する食べ物、酒饅頭。
則子さんは「やはり酒饅頭は志美津屋の大黒柱。
今でも客層は幅広く、小さなお子さん連れのお母さんからお年寄りまで来ています。」
と話し、秀信さんも「お土産やお茶菓子として人気があります。
最も基本的なお菓子なので飽きが来ないのだと思います。」と話す。
では、なぜ饅頭を並べる店は和菓子店になったのか。
それは秀信さんが三代目を継ぐ時だった。
東京 向島の『青柳正家』で八年間の修行を積んだ秀信さんには
高い和菓子作りの技術があった。
そこで方針転換をして、多彩な季節の和菓子が並ぶ店になった。
その高い技術から作り出される和菓子は
相模原スイーツグランプリ和菓子部門やお店大賞を受賞している。
中でも『やすらぎ最中』は明治神宮の奉献銘菓にもなっている。
「できたてを提供でき、どんな人が作っているのか解って貰えるのが個人店の良い所」
と話す通り、朝生(あさなま)という言葉がある。
これは、その日のうちに売るお菓子をその日の朝に作る事。
そして和菓子には
『人の一生はお菓子で始まりお菓子で終わる』という言葉がある。
出産祝いの三つ目の牡丹餅から始まり仏事法要や季節の和菓子まで
日本人の生活に密着している。
初代が付けた『志美津屋』の屋号に『志』を高く『美』しい和菓子と共に『津』々浦々の人々に伝えたい。の意味を込めた秀信さんはこれかも人に寄添う和菓子を作り出してくれるだろう。
byまー
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