「橋本郷土カルタ」であなたも “橋本の達人”に!!『し』
こんにちは🤗 めぐり報です❗️
「橋本郷土カルタ」であなたも
“橋本の達人”に✨
今回は42枚目の「し」のご紹介です。
「出土品に 古代の橋本 かいまみる」
(橋本遺跡…市登録史跡)
皆さんは、橋本に遺跡があるのをご存知ですか?
橋本遺跡は、相模野台地の北の縁にあたる境川の右岸に広がっていて、明治時代からすでにその存在が知られていたそうです。
橋本遺跡の範囲は、瑞光寺の裏手を始めとする元橋本町と橋本7丁目あたりになります。
国道16号線の交通量緩和のために、昭和60年(1985年)の開通を予定して八王子バイパスの建設工事をすることになりました。
しかし、そのルートが遺跡の真ん中を通過するため、埋蔵文化財の記録保存の目的で当時の建設省(現国土交通省)関東地方建設局の委託を受けて、昭和55年(1980年)から相模原市教育委員会が設立した『相模原市橋本遺跡調査会』(会長:座間 美都治氏)が発掘調査を開始しました。
調査会では昭和59年(1985年)まで、ほぼ5年以上の年月をかけて発掘作業・整理作業・調査報告書3冊の発行をしました‼️
そして、調査の結果、橋本遺跡はその範囲の広さと年代の幅が、当初の予想をはるかに上回っていたことがわかりました
橋本遺跡は、出土品から『後期旧石器時代の後半』(先土器時代…約25000年前)〜『縄文時代中期後半』(約4500年前)という、とてつもなく長い年代にわたる遺跡だということがわかりました。
これは市内に数ヶ所ある相模野台地の遺跡の中でも、最古で代表的な『先土器時代遺跡』だそうです
そのため、出土した地層や石材から1〜6期までの6つの文化層に分けて調査したとのことです。
そして、出土した石器や礫の数は約1万点にのぼるそうです。
後期旧石器時代の石器は、地下1〜5mの赤土の中から重なるように発見されたそうです。
また5期の石器は25000年前に噴火した、鹿児島県の姶良カルデラの火山灰が降り積もった地層から出土し、良質な黒曜石が使われていたそうです。
そして、更に下の地層から出土した6期の石器は、相模原市最古の石器群と考えられているそうです。
また、『縄文時代中期後半』(約4500年前)の地層からは、縦穴式住居跡が80軒以上発見され、中央の墓所を住居が囲む『環状集落』だったことがわかったそうです。
他にも土偶が40点ほど発掘されました。『縄文時代中期前半』の土偶が、はっきりした顔や姿の作りであるのに対し、こちらの土偶は高さ数cmの小型のもので、顔や手足、文様や飾りが簡略化されています。
これは多摩丘陵など関東南西部に見られる特徴だそうで、発掘場所にちなみ『橋本土偶型式』と呼ばれているそうです。
元橋本にある瑞光寺でいただいたパンフレットによると、瑞光寺の新本堂(平成22年…2010年完成)を建築するために旧本堂を取り壊した時に、本堂のご本尊の須弥壇の直下から竪穴式住居跡が発掘されたそうです
★発掘された石器や土偶や土器などの出土品や地層などの詳しい説明は、相模原市立博物館の常設展示室で見ることができます。
興味のある人は、ぜひお出かけ下さい。
★橋本遺跡があった場所は、ほとんどの部分が八王子バイパスや住宅地や畑などになっていますが、元橋本15番地にある『元橋本けやき公園』として、その一部を残しています。とても小さな公園ですが、橋本遺跡の説明看板があります。
(残念ながら傷みが激しく、字がかなり読み取りにくくなっていますいつか新調していただけるといいのですが…)
★参考文献
- 『橋本遺跡 先土器時代編』
『橋本遺跡 縄文時代編』
『橋本遺跡 歴史時代編』
(3冊とも 橋本遺跡調査会 編)
一番本格的な資料です。詳しい図面も別途たくさんついています。
橋本図書館始め、市内の公立図書館と相模原市立博物館にあります。
- 『相模原市立博物館常設展示解説書』(相模原市立博物館 編)
*相模原市立博物館で購入可。 - 『相模原事典』 (涌田 佑、 涌田久子著)
- 『瑞光寺パンフレット』(瑞光寺著)