「橋本郷土カルタ」であなたも “橋本の達人”に!!『ゆ』
こんにちは😄 めぐり報です❗️
「橋本郷土カルタ」であなたも
“橋本の達人”に✨
今回は39枚目の「ゆ」のご紹介です。
「行く先は 大山詣で 道ふたつ」
(棒杭…大山道道標…市登録史跡)
「大山詣で」は「大山参り」とも言い、江戸時代中期に盛んになった、庶民の物見遊山を兼ねた大山の社寺への参詣のことです。
大山は伊勢原市·秦野市·厚木市の境にある標高1,252mの山で、丹沢山塊の東端に位置する端正な姿の山です。
大山は奈良時代に開山されたと伝えられ、別名雨降山(あめふりやま・あふりやま)と言い、頂上の大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)は雨乞いの神様を祀っています。
人々は大山詣でをするために『大山講』を各地で結び(講の数は一説には15,700以上とも…)白衣・木の杖・雨具・白地の手甲・脚絆・着ゴザを身に付け、腰に鈴を下げて「六根清浄」と唱えながら大山を目指したとのことです(お遍路さんのような姿ですね)
大山は農民からの豊作祈願だけでなく、海上からもその姿がよく見えるので、漁民からも大漁祈願の神様として厚く信仰されていました。
そして、大山詣でに使った道は『大山道』とか『大山街道』と呼ばれていました。
ここでの『道』は『大山道』『大山街道』のことです。
大山道は藤沢から大山に向かう『田村通り大山道』江戸から大山に向かう『矢倉沢往還』(青山通り大山道)など沢山ありますが、相模原市内には3つの大山道が通っています。
その1つは『府中通り大山道』で、ルートは
春日部→府中→中河原→図師→淵野辺→磯部の渡し→大山です。
橋本に縁があるのは、「八王子通り大山道」です。
この道は、棒杭という場所で田名方面と上溝方面に分かれます。
これが残りの2つで「道ふたつ」の意味です。
橋本地区の大山道の2つのルートは以下のとおりです
- 八王子→両国橋→棒杭→塚場→下九沢→四谷→久所(ぐぞ…田名方面)の渡し→大山
- 八王子→両国橋→棒杭→上溝→田尻→当麻の渡し→大山
この道を通る人々は、境川の両国橋付近の精進場で身を清めてから橋本宿に入りました。
そして、棒杭の所で田名方面か上溝方面かに決めて進みます。
この棒杭の場所には、安政2年(1855年)に建てられた『大山不動明王の大山道道標』(市登録史跡)がありましたが、区画整理のため今は近くの橋本1丁目の小山さん宅に移転しています。
この道標の右側面には「北八王子道」、左側面には「南あつぎ道」、裏面に「安政」、正面の下の方に「右大山みち田名○○」と彫られています。
(どこにも上溝という字がありません)
このことから、この道標は田名の人々が宿場にお客を呼ぶために『田名が大山への近道』である…と書き入れて建立したのではないかと言われています。
上記の道標が元々あった場所(棒杭)は大山道の田名方面と上溝方面の分岐点で、歴史的に大切な場所のため、位置がわかるように現在は『棒杭』という地名標柱が建っています。
横浜線の橋本駅から八王子方面に進む最初の踏切は、『大山街道踏切』です。
また、橋本2丁目の供養塚の横の大山道沿いに「大山道」という地名標柱が建っています。
いつも通っている道が『大山道』だった…という方もいるのではないでしょうか?
この次に通る時はちょっと意識して見ていただけると嬉しいです
橋本からもよく見える大山を見ながら、昔の人々の往来に思いを馳せてみるのもいいかもしれませんね
*今回の参考文献は…
- 『橋本の歴史ガイドブック』(橋本の歴史を知る会 編)
- 『橋本の昔話』(加藤 重夫 著)
歴史さんぽ:橋本南地区コース26