「橋本郷土カルタ」であなたも “橋本の達人”に!!『あ』
こんにちは🤗 めぐり報です❗️
「橋本郷土カルタ」であなたも
“橋本の達人”に✨
今回は36枚目の「あ」のご紹介です。
「秋日和り 銀杏に映える 長屋門」
(『原清“はらせい”の長屋門)
長屋門は日本の伝統的な門の形式の1つで、近世諸大名の武家屋敷の門として発生したもの。
江戸時代に多く建てられました。
諸大名は、自分の屋敷の周囲に家臣などのための長屋を建てて住まわせていましたが、その一部に門を開いて一棟としたものが『長屋門』
の始まりと言われています。
その後、長屋門は上級武士の住宅の表門の形式として広まりました。
武家屋敷の長屋門の両側部分は、門番や仲間(ちゅうげん)の部屋・家臣や使用人の居所に利用されました。
(馬小屋としての利用もあったようです)
また、郷村武士の家格を持つ家や名字帯刀を許された富裕な農家、名主や庄屋の家でも長屋門が作られました。
このカルタに長屋門が出ている原家も、小山村の名主を務めた豪農です。
豪農の長屋門の両側は、使用人の住居・納屋・作業所・牛や馬の小屋などに利用されました。
カルタで取り上げているのは、東橋本3丁目にある『原清』(はらせい)の長屋門です。
この門は江戸時代末期に作られたもので、天保14年(1843年)から相模原最大の新田、清兵衛新田を開発した原清兵衛光保の子孫である原家の門です。
平成10年(1998年)に西隣のマンションを建てる際に、少し東側に移築して改修したため、残念ながら市の有形文化財には指定されませんでした。
しかし、この門の歴史的価値は変わるものではありません。
原家の東隣に建つ、同じく豪農の小山家の長屋門も大変立派で、原家の長屋門と共に神奈川県の『昔の街並み百景』に選ばれています。
秋にはカルタの絵のようにイチョウ並木の黄葉と共に素晴らしい景観になります。
また、場所は少し離れますが、元橋本3丁目には、やはり豪農の牛久保家の立派な長屋門があります。
こちらは市の有形文化財に指定されており
桁行…長さ9.5間(約17.1m)
梁行…高さ2.5間(約4.5m)
の大きさで、原家・小山家と合わせて3つの長屋門の中では最大の規模となります。
★今回の参考文献は…
- 『橋本の歴史ガイドブック』(橋本の歴史を知る会 編)
歴史さんぽ:宮上地区コース2