「橋本郷土カルタ」であなたも “橋本の達人”に!!『ま』

こんにちは🤗 めぐり報です❗️

「橋本郷土カルタ」であなたも
“橋本の達人”に✨

今日は30枚目の「ま」のご紹介です。

「まつば坂 昔の風景 今はなし」
(まつば坂)

 

 

 

 

 

 

 

1.まつば坂の名前の由来は?

平安時代の末期、『武蔵七党』という武士の集団があり、その1つの『横山党』が八王子から相模原の間に存在していました。
その中の上溝あたりにいた武士の集団が、弓の練習をするために、境川付近の宮上地区の崖の上の土地を利用していました。
その場所が弓の練習をした場所なので『的場』(まとば)と呼ばれ、的場に行く時に通る坂が『的場坂』(まとば坂)と呼ばれていました。
いつしかこれがなまって「まつば坂」と呼ばれるようになったと考えられています:弓矢:

また、カルタの説明にもあるように、この坂の下には天縛皇神社があるため「天縛坂」とも呼ばれています。

それから弓の練習の後に休んだ場所が『矢掛け』(やがけ)と呼ばれ(矢筒を木に掛けて休んだ?)
今の宮下本町3丁目あたりに小山矢掛公園や矢掛台というバス停の名前などで、『矢掛』という地名が残っています:ヒー:

 

 

2.その後のまつば坂は?

まつば坂は昭和11年(1936年)に国の農村不況救済事業として、宮上地区の農民により改修工事が行われました。
その後、市が坂の途中に『
まつば坂』の石標を建てました。

 


現在のまつば坂は両側に家が建ち並び、特に坂の南側の住宅は高い土台の上に建っているので、見上げるような高さです。

カルタの説明のようにうっそうとした山林だった面影はありません。

 

 

 

★今回の参考文献は…

  • 『宮上の歴史』(加藤 重夫 著)
  • 『「橋本郷土カルタ」で巡る橋本の歴史と文化』(井上 研一 著)

 

歴史さんぽ:宮上地区コース20

東橋本4丁目