「橋本郷土カルタ」であなたも “橋本の達人”に!!『な』
こんにちは!めぐり報です!!
「橋本郷土カルタ」であなたも
“橋本の達人”に!✨
今回は21枚目の「な」のご紹介です。
「夏休みの 宿題すませ 祭り行く」
(天縛皇神社)
天縛皇神社(てんばくこうじんじゃ)は旧小山村の鎮守で、室町時代の天文元年(1532年)に創建され、最初は『天縛明神社』という名前でした。
祭神は帝釈天(たいしゃくてん)で、以前ご紹介したお寺の『蓮乗院持ち』の神社でした。
『蓮乗院持ち』というのは、蓮乗院が祭祀その他 すべてのことを管理していた、という意味です。
明治初期に、明治政府の神仏分離令により蓮乗院から分離して、祭神も帝釈天から『伊邪那岐命』(いざなぎのみこと)『伊邪那美命』(いざなみのみこと)に変わり、神社の名前も『天縛皇神社』になりました。
その後、明治42年(1909年)に宮上にあった足穂神社(たるほじんじゃ)を合祀したため、現在は『天照皇大神』(あまてらすすめおおかみ)『神呂岐命」』(かむろぎのみこと)『大山咋命』(おおやまくいのみこと)も祀られています。
天縛皇神社は昔から人々に「お天縛さま」と親しまれている神社で、小山村のほぼ中心にあったことから
宮の西側(近くを流れる境川の川上側)を「宮上」(みやかみ)
宮の東側(川下側)を「宮下」(みやしも)と呼ぶようになりました。
現在、宮下は住居表示に残っていますが宮上は住居表示にはなく、宮上小学校・宮上児童館・宮上公園・宮上連合自治会などに名前が残っています。
天縛皇神社の例大祭は毎年、曜日には関係なく8月29日に行われます。
カルタでは、一刻も早くお祭りに行きたくて、必死で夏休みの宿題をやっている男の子の絵が描かれています。
(お母さんに「宿題やらないと行かせないよ」なんて言われているのかも…)
しかし、令和元年(2019年)から夏休みが8月24日までに短縮されたので、実は29日はもう2学期です。
(…というわけで、その頃まだ宿題をやっているようではマズイですね)
それでも、お母さん達の話では、学校から帰ったら急いでお祭りに飛んで行く子どもたちの様子は今も昔も変わらないそうです。
数年前、8月29日の昼間に様子を見に行ってみたら、神楽殿に『天の岩戸』と思われるお神楽の準備がされていました。
いつかきちんと拝見しに行きたいと思っています。
神社の鳥居は神域への入り口を示すもので、大まかに明神系と神明系の2つの形に分類されます。
天縛皇神社の鳥居は明神系で、これは最初『天縛明神社』だったからではないでしょうか。
明神系は神様全般を祀る系統で、一番多く見られるタイプとのことです。
京都の八坂神社や宮島の厳島神社のように朱塗りの鳥居が多いそうですが、天縛皇神社の鳥居は落ち着いた石造りです。
鳥居上部に横たわる『笠木』と『島木』の両端が上向きに反り、柱は地面に対して少し傾斜をつけて立てられているのが特徴です。
ちなみに以前ご紹介した『橋本神明大神宮』の鳥居はもう1つの系統の神明系です。
こちらは天照大神を祀る系統で、伊勢神宮の内宮の鳥居を原型としています。
全体的にシンプルで、柱は地面に対して垂直に立てられています。
他にも色々なタイプの鳥居がありますので、調べてみるとなかなか面白いですよ
(唐破風鳥居、山王鳥居など…)
歴史さんぽ:宮上地区コース21
中央区宮下本町3-23-7