「橋本郷土カルタ」であなたも “橋本の達人”に!!『た』
こんにちは!めぐり報です!!
「橋本郷土カルタ」であなたも
“橋本の達人”に
今回は16枚目の「た」のご紹介です。
「竹飾り 大きくなびく ビルの風」
(橋本七夕まつり)
『橋本七夕まつり』は戦後の復興期の厳しい状況の中、橋本商店会の人達の「街を元気づけ、人々が集まって楽しめる行事をしたい」という思いから昭和27年(1952年)に始まりました。
以後台風で中止になったことが少しありますが、今年、2020年はご存じのとおりコロナウィルス感染予防のため、残念ながら中止になりました。
開催されていれば68回目の七夕まつりでした。
『橋本七夕まつり』は『上溝夏祭り』『相模原納涼花火大会』と並んで『相模原市三大夏祭り』の1つであり、昭和57年(1982年)には『かながわのまつり50選』にも選ばれています。
始めた当初は入間・福生・平塚・仙台の七夕まつりを視察し、入間の花飾りの折り方を3年がかりで教えてもらったり、福生で気に入った飾り物を買い付けて解体して研究したりしたそうです。
飾りは入間や浅草から紙を仕入れて、家族総出で何千個も花などを作って傘や竹で編んだくす玉につけたとのことですが、紙だと雨でダメになるので、次第に平塚のようにビニールで作るようになったそうです。
七夕に欠かせない竹の切り出しは、城山地区の3カ所の竹林と契約して、その3カ所を毎年交代で切り出していたそうです。
七夕まつりの竹はとても長いので、トラックで運ぶ時は警察に届けたり葉が道路にたくさん落ちて苦情がきたり、と苦労が多かったそうです。
再開発前は、杉佐屋さん、武蔵屋さん、マルコヤさん、などが毎年大がかりな素晴らしい飾りを作っていて、「今年はどんな飾りかな?」と楽しみに出かけたものでした。
また、北口広場にステージが設営されて歌や踊り、手品などが披露されました。
当時は広場に口から煙を吐く、見上げるようなゴジラや、色鮮やかな恐竜などが並び、子ども達を喜ばせました。
再開発後は、高層ビルが増えてビル風が強いこともあって、残念ながら以前のような仕掛けつきの大がかりな飾りは減りましたが、そのかわりにスタンプラリー・街コン・6つのステージでのたくさんのパフォーマンスなどが、催されています。
以前は橋本商店会が運営していましたが、現在は『橋本七夕まつり実行委員会』の皆さんが運営しています。
橋本七夕まつり実行委員会には次の4つの部会があります。
- 行事部会(彦星、織姫など6つのステージの担当)
- 出店部会(七夕まつりの出店の管理。今では250店が出店)
- 竹設置部会(5月頃から竹飾りの制作を開始。まつりでは大中小の様々な竹を250本ほど設置)
- ボランティア担当部会(クリーンステーション・スタンプラリー・模擬店の3つの班に分かれて、中高生・大学生・一般の人達約800人で活動)
時代に合わせて七夕まつりのやり方もどんどん変化していますが、67年間も続いて人々を楽しませて、毎年30万人もの人出があるということは、素晴らしいことだと思います。
商店街の人達が始めた七夕まつりですが、現在は商店の人と小学生から大学生までの若い人達が一緒になって盛り上げていて、とても心強いかぎりです。
2021年こそはコロナが落ち着いて無事『第68回橋本七夕まつり』ができるといいですね
七夕通りの両側の歩道にたくさんある『七夕専用』のマンホール。
七夕通りに行った時はぜひ見つけてください。
気づいている人は少ないので、教えてあげて自慢しましょう
(丸いのは竹を支える杭を立てる穴、四角いのは竹を立てる穴)
今回の記事で参考にした資料
◆「願い 橋本七夕まつり50周年記念誌」 (橋本図書館にあります)
(橋本七夕まつり記念誌委員会)
◆「Bridge.vol.11」
(橋本商店街共同組合)