「橋本郷土カルタ」であなたも “橋本の達人”に!!『よ』
こんにちは!めぐり報です!!
「橋本郷土カルタ」であなたも
“橋本の達人”に
今回は15枚目の「よ」のご紹介です。
「夜明け前 いも売る荷車 峠越す」
(いもの出荷)
『続 橋本の昔話』(加藤 重夫 著)によると、八王子の八百屋さんに さつまいもを競って売りに行っていたのは、橋本や相原だけではなく、小山・清新・田名・上溝・大沢あたりからも行っていたそうです。
農業会が始めた『貨車出し』という、橋本駅から東北や北海道まで、さつまいもを出荷する方法もありましたが、八王子へ直接持ち込む方が芋の包装や検査の手間がなく、その日のうちに現金になるのが魅力だったようです。
子ども達の平日の荷車の後押しのお手伝いは、カルタの読み札のとおりですが、日曜日は学校が休みなので御殿峠から家にもどらず、そのまま八王子へ下る荷車に乗せてもらいました。
そして八王子見物をしたり、その日の売り上げで欲しいものを買ってもらったりすることもあったそうです
父親達は八王子への出荷が終わると10時頃には畑に戻り、翌日の出荷のためのさつまいも掘りに励みました。
暗くなっても八王子への出荷分が揃うまでは、風呂にも入らず作業を続けたとのことです。
さつまいものアクで手のひらや腕が真っ黒になり、風呂で洗ってもなかなか落ちなかったそうです。
真っ黒な土で荒れた手はまるで熊の手か木の棒のようだったとのことですが、そんな父親達の一番の楽しみは子ども達の成長と、夕食時の一杯の焼酎だったそうです
相模野は乾燥地のため稲作には向かず、さつまいも作りには適していたため、盛んに作られるようになりました。
『高座甘薯(かんしょ)』または『高座赤(あかし)』と呼ばれ、人気があり市場価格も良かったとのことです。
『高座赤』は金時系の『川越いも』の流れを汲む芋で、八王子で人気だった焼き芋に適した、水分が少ない・焼いても目減りしない・身がしまっていて味が良いという性質を持っていたため、高く売れたとのことです。
農家でも苗作りや肥料・土に様々な工夫をして、品質の向上に励んでいましたが、現在は『紅あずま』の普及により、『高座赤』の栽培面積は減少しているそうです