2017年6月号, 橋本ヒストリージャーニー

歴史あり【2017.6月号】

本にリニア中央新幹線の駅が出来ますが、その昔橋本を通る鉄道が計画されていました。
津電気鉄道です。
コースは大正15年に京王電気軌道に吸収合併された、
玉南鉄道の関戸駅(聖蹟桜ヶ丘)に接した一ノ宮から鑓水、橋本、川尻までの区間で、

寿橋付近から橋本へ入ってたか (資料を元にしためぐり報の線路予想)

計画では相模原の物産の流通、
都心と相模原の人々の行き来、
関東大震災復興の為の資材運搬などがありました。

瑞光寺付近を通り相原方面へ? (資料を元にしためぐり報の線路予想)

沿線の農家や有力者に株式を受け持ってもらい、
昭和3年10月21日に川尻停車場予定地で起工式が行われ、
橋本にも工事事務所が香福寺の近くに建てられていたそうです。

瑞光寺裏手付近から7丁目方向へ? (資料を元にしためぐり報の線路予想)

かし昭和4年の世界恐慌で、農家は株式払い込みどころではなくなってしまい、
工事費の支払いも滞り、
出来上がった線路のレールや枕木などは、工事担当者達の未払い代金の足しの為に、
引き剥がされて持ち去られてしまいました。

相原駅でスイッチバックをして川尻方面か (資料を元にしためぐり報の線路予想)

殆どが地域の有力者だった南津電車の重役達は私財を投げ打ち工事の再開をめざしますが、
叶わずに幻となってしまいました。

城山総合事務所の裏手付近が川尻駅だった? (資料を元にしためぐり報の線路予想)

在、橋本は京王線で都心へのアクセスが容易になり発展をしました。
昭和初期、計画通りに南津電車が走っていれば、橋本はどのような姿になっていたでしょうか。
先人達の慧眼に敬服です。

byまさし

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