はしもと人を発見!【2016.10月号】
〜祭りから知る 橋本の今昔
娯楽を求めて 祭りを盛り上げた〜
相模太鼓保存会
原 昇さん
「終戦後に若者が帰ってきてね、でもなんにも娯楽がないんですよ」
終戦から二年、橋本に娯楽はほとんど無かった。
そんな橋本で娯楽を求めお囃子を始めた男が居た。
相模太鼓保存会の原 昇さん九十一歳、未だ現役。
今から91年前といえば大正14年。NHK のラジオ放送開始の年。
戦後間もなく、お囃子を始めた昇さんは太鼓、笛などを習得し
青年団で大衆演劇などを催す娯楽会を開催するようになった。
そして太鼓チームへの加入を経て、昭和五七年に相模太鼓を立ち上げた。
戦後から橋本の祭りを見続けてきた昇さんは
「お囃子もね、夜宮でやって、
今度は朝囃子って言って、朝早くからやってたんです」と話す。
夜宮とは祭り前夜に行う小行事のこと。
そして朝囃子に関しては「暗いうちから準備してね、
まだみんなが寝てるうちからやってね」
と今は無いお祭りの慣習を教えてくれた。
現在は自治会で行われるお祭りだが、
昔は宮上全体で行われていたという。
その分規模は小さくなったそうだが、人口増加に伴い、
来る人は増えていて、祭りの雰囲気は今も昔も変わらないと言う。
ただ、「今は子供の親があまり祭りに来ないね。昔はみんな出てきてた。親子でね。」
と来る人の変化や、広場の減少で開催自体が無くなってしまう祭りさえある事に
寂しさを覚えているという。
そんな橋本の祭りの今昔を知る昇さんは、
相模太鼓保存会の運営、実務を若者達に任せている。
その一人、孫の知継さんは
「相模太鼓保存会にいるだけで精神的な支柱ですね。
絶対的な存在が居るので、その下でみんなが折り合いをつけて、仲良くやっていけている」
と話す通り、昇さんも
「折角、ここまでやってきたんだからこれからもずっと続いて欲しいね、みんな仲良くね」
とみんなに慕われる一面を見せた。
相模太鼓保存会には小学生のメンバーもいる。
なんと年の差は八〇歳以上。
そんな子達と一緒に叩いていると「そりゃあ気分がいいね、みんな仲がいいし」
と嬉しそうに話す様子は
相模太鼓のスピリットが確かに未来へと繋がっているようだった。
橋本に生まれ91年。
祭りを通して橋本を見続けてきたの昇さんは
「どうなっていくかわからないけど、いい形で発展してほしいね」と言う。
そんな昇さんはこれからも橋本を見続けていくだろう。
byまー
~【橋本人を発見!街の人の心意気を見た】brought to you by めぐり報~