こんな所に歴史あり【2016.4月号】
球春到来。今年もプロ野球が開幕し、熱い戦いが始まりました。
日本に野球が伝わった明治5年以来、日本人の野球好きは皆さんの知る所。
実は橋本にも野球が出来るグランドでの熱いリーグ戦がありました。
時は大正12年。
橋本で野球チームを作ろうと話が出て相原農蚕学校(現在の相原高校)の
グランドを借りて野球が始まったそうです。
更に昭和2年には野球場建設の声が大きくなります。
それは都市対抗野球が始まり、
夏の甲子園大会は日本初のラジオ実況放送がされ、
野球人気は益々全国的になったからのようです。
そこで当時の人々は現在の橋本1丁目、アスク保育園辺りの土地を借用して
野球部員の労働奉仕などで球場を作りました。
これが橋本グランドです。
そのグランドは窪地を利用して造られ、斜面には観覧席を設けてあり、
なかなかの出来映えであったとの記録が残っています。
昭和5年11月16日に盛大な開場式を行った橋本グランドには
報知新聞社の飛行機が祝辞を入れた通信筒を投下したり、
煙火を打ち上げたりと大いに盛り上がったようです。
参加チームも
相原農蚕学校の教職員チーム、
変電所チーム、
日通運送チーム、
商店主などが集まったチーム
の計四チームでリーグ戦を行っていましたが、
歴代優勝チーム、賞品などの詳細な記録は残っていないようです。
また橋本グランドは村の青年団の競技会や旭小学校の運動会も開催するなど、
野球以外にも利用されていました。
催し物の開催時に揚がるメインポールの日章旗は、
付近の人々が集まり観覧する目印だったとあります。
橋本グランドは当時の橋本のスポーツの中心的役割を担っていたのではないでしょうか。
byまさし
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