「橋本郷土カルタ」であなたも”橋本の達人”に!!『と』
こんにちは!めぐり報です!
「橋本郷土カルタ」で
あなたも”橋本の達人”に!!✨
今回は7枚目の「と」のご紹介です。
「年越しそば 蓮乗院の鐘 初詣で」
(蓮乗院)
蓮乗院は東橋本3丁目にある真言宗智山派の寺院で、天縛山 蓮乗院無量寺という真言密教のお寺です。
室町時代の天文3年(1534年…織田信長が生まれた年 )に長尊というお坊さんが創建しました。
ご本尊は不動明王様です。
明治11年(1878年)残念なことに火事で全焼してしまいましたが、昭和59年(1984年)に客殿と山門、平成6年(1994年)に本堂が再建されました。
境内の苔が美しい静かなお寺です。
山門を入ってすぐ右側に『養麟学舎開設の地』という大きな石碑が建っています。
明治5年(1872年)の明治政府の学制発布により、蓮乗院に『養麟学舎』という寺子屋が開かれ、小山村の子ども達が学びました。
しかし、前述の明治11年(1878年)の蓮乗院の火事のため、寺子屋は寺の東側の霧生家に移されたとのことです。
その後、児童が増えたため氷川神社に分校を作り、後に旭尋常小学校に統合されました。
さらに、再び児童数の増加により、昭和54年(1979年)に開校した宮上小学校に分かれて今に至っています。
当時の近隣の寺子屋は
蓮乗院の『養麟学舎』(小山村)
瑞光寺の『本燃学舎』(橋本村)
正泉寺の『益進学舎』(相原村)
3カ所で、それぞれのお寺に石碑が建っています。
(正泉寺には、寺子屋時代に使っていた木の細長い机がまだ残っています)
蓮乗院は、小山村の豪農、原 清兵衛光安が中心となって天保14年(1843年)から始まった清兵衛新田開発の本部となった場所です。
江戸幕府から出張してきた江川代官所の役人達の宿舎になりました。
詳しくは『む』の札の回でご紹介!!
昭和56年(1981年)に相模原市立博物館を作るため、初代博物館長の神崎彰利さんが市内の寺社を調査されていた時、蓮乗院の焼け残った物置で偶然『順席』というものを発見しました。
発見当時神崎さんは驚きのあまり、しばらく絶句されたそうです
『順席』というのは、江戸城で大名や旗本が将軍に拝謁するために控える『詰め部屋』の中での席、順番、大名の名前・履歴・領地・所領高などが記された名刺短冊が貼られた紙を綴じたものです。
大きさは約縦30cm、横22cm、厚さ8.5cmです。
『順席』は本来、江戸城の『紅葉山文庫』にあるべきもので、持ち出し禁止のはずなのになぜ、蓮乗院にあるのでしょうか?
この謎の詳しい考察と『順席』の写真は、小山公民館のホームページの『小山の昔語り』(平成19年度6月、8月、9月)に詳しく載っていますので、ぜひご覧ください)
この『順席』は研究の結果、大政奉還が行われた慶應3年(1868年)の6月〜10月の間に作られたことが分かっていて、資料の少ない幕末史を知る上で大変貴重なもので、市の「指定有形文化財」になっています。
現存する『順席』は蓮乗院のものと、国会図書館所蔵の天保14年(1843年)のものの2つだけで、研究・解析・活字化されているのは蓮乗院の方だけです。
実物は保存のため非公開!
ですが、橋本図書館の調べものコーナーで『資料集 順席』(相模原市立博物館 編)として活字化されたものが閲覧できますので、ご興味のある方はぜひご覧ください
このカルタに出てくる3つのお寺、蓮乗院、香福寺、瑞光寺では例年大晦日に除夜の鐘を一般の方にもつかせてくださっていましたが、今年(2020年)はコロナウィルス感染防止のため、一般の方の鐘つきは蓮乗院(未定)、香福寺(未定)、瑞光寺(中止)となっていますのでご注意ください。
歴史さんぽ:宮上地区コース16
蓮乗院:東橋本3丁目12-3