橋本ヒストリージャーニー【2018.10月号】
ヒストリージャーニー橋本南地区を巡るコース
第3回目は常慶くぼ、開拓記念碑をご紹介!
★常慶くぼ
橋本ライフタウン内のくすのき公園内に建つ常慶くぼの碑。
そこには「江戸時代にこの辺りに住んでいた常慶というお坊さんにちなんでこの名になった。」
と書かれています。
常慶というのは香福寺にいた僧の名前(延宝7年(1679)没)で、
この地に香福寺の支院である常慶庵があったとのことです。
「くぼ」というのは窪地のこと。
当時、今の変電所辺りから北西部を「八が淵」といい、
それにつながる南方の低地を「八が下」と呼んだそうです。
雨が降ると八が淵からの雨水が八が下の窪地に流れ込んだそうです。
その八が下の窪地の辺りに常慶庵があったことからこの窪地を「常慶くぼ」と呼んでいたことがわかりました。
★開拓記念碑
太平洋戦争が終わると、国は食糧難、引揚者対策として
荒れ地の開拓計画を進め、昭和25年(1950)に
北相開拓農業協同組合(11戸38人)が設立されました。
今の橋本台周辺の開拓が行われ、関係者によって記念碑が建てられましたが
都市化により、橋本ライフタウン内の
相模中央青果卸売市場寄りの場所に移されました。
【出典】
橋本の歴史ガイドブック
橋本の文化財お散歩マップ
(お散歩マップは橋本公民館で無料配布しています)
【協力】
橋本の歴史を知る会
【橋本ヒストリージャーニー】
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