「橋本郷土カルタ」であなたも “橋本の達人”に!!

こんにちは❗️めぐり報です❗️

「橋本郷土カルタ」であなたも
“橋本の達人”に

今回は17枚目の「れ」のご紹介です。

「練習部屋 予約にサークル 一苦労」

(橋本公民館)

pastedGraphic.png今回は約25年に一度大きな変化を遂げてきた、橋本公民館の歩みをたどってみました。

 

1.橋本公民館が「組織公民館」だった時代とは…? 昭和25年(1950年)〜

 戦後、社会教育法に基づいて公民館の制度ができました。当時の相模原町では昭和24年(1949年)に公民館条例を作り、各地に「公民館」を作りましたが、建物としての公民館は作れず、「組織公民館」か「青空公民館」でした。

 橋本公民館は、昭和25年(1950年)の5月1日に設置されましたが、建物はなく、旭小学校の講堂(体育館)に看板をかかげてスタートしました。

 開館式は戦争が終わった日である8月15日に行い、初代の館長は旭小学校の校長先生でした。その年の11月に第一回目の町民運動会が行われました。まだ地区対抗の競技はできませんでしたが、参加した住民の盛り上がりは大変なものだったとのことです。

 

2.独立した公民館の建物が完成昭和51年(1976年)〜

 住民待望の公民館の建物が、橋本6丁目(旭児童クラブの場所)に開館したのは、昭和51年(1976年)の8月です。橋本出張所と隣接し、他の地区の2倍の大きさでした。

 そして昭和58年(1983年)以降、地区から館長を選ぶようになりました。建物ができたことで、ますます利用者が増え、学習·健康·趣味·料理など多くのサークル活動が盛んになり、社会教育·生涯教育·住民のコミュニケーションの「場」として公民館はますます大切な存在となりました。

 昭和52年(1977年)の1月から「館報はしもと」が発行されるようになり、11月には現在の公民館まつりにあたる「第1回文化祭」が開かれました。また、昭和58年(1983年)12月には「第1回橋本公民館こどもまつり」が開かれました。その後平成7年(1995年)11月には「全国優良公民館」として文部大臣表彰を受けました。表彰の対象になったのは、平成5年〜7年に青少年部が中心になって行われた「ザ·ナイト·ウォーク」事業でした。(茅ヶ崎海岸、横浜みなとみらい21方面)

 

3.「シティ·プラザはしもと」内に新公民館として移転!!平成12年(2000年)〜

 公民館が現在の場所に移転したのは、平成12年(2000年)の4月です。そしてこの年は「橋本公民館創立50周年」の年でもありました。以前は3階建てでしたが、現在はイオンビルの6階の一部のワンフロアとなりました。駅のすぐそばという便利さからますます利用者が増えて、サークル活動もより盛んになりました。

 そして以前は割り箸のくじで部屋の予約をしていたのですが、市が始めた予約システムで専用の機械やパソコンからの抽選方式に変わりました。特に橋本公民館と淵野辺の大野北公民館は駅に近くて便利なため、利用サークルがとても多く「2大予約が取りにくい公民館」になりました。pastedGraphic.png

 今年は新型コロナウィルスのため、公民館も休館した時期があったりと例年とはだいぶ違う年になりました。そして町民運動会·公民館まつり·こどもまつりなど、多くの事業が中止になるなど大きな影響が出ています。利用者の皆さんも公民館のコロナ対策に協力しながら気をつけて利用している状況です。

 来年はコロナが もっと収まって、色々な事業ができるようになりますようにpastedGraphic.png🥰

*今回の記事は「橋本公民館創立50周年記念誌 50年のあゆみ」を参考にしました。

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