2017年8月号, 橋本ヒストリージャーニー

歴史あり【2017.8月号】

つて相模原に多くの軍事関連施設が集る町を目指す
「軍都計画」があった事をご存知でしょうか。

画は、軍事関連施設建設と、現在の市役所通りと16号を基準に500m毎に主要道路を設け、
10万人が暮らせる整備計画を含む、昭和14年から7年をかける大プロジェクトでした。

本に軍施設はありませんでしたが、旭小学校内に仮事務所が置かれたり、
軍による市民への説明会などが行われていたようです。

旭小では市民説明会が開かれた

画前は、地元負担や農耕地の減反など不安もあったようです。
しかし、「銃後の御奉公を喜び、どんな犠牲を払っても利害を超え奉公をしてほしい」
との陸軍上層部の強い要請と、軍事産業での人口増、町の活気などが期待され、
受け入れたようです。

現米軍補給廠は旧日本相模陸軍造兵廠

事では、陸軍士官学校、造兵廠、工科学校、通信学校、病院などの施設が建てられ、
道路整備では16号線が、清新・淵野辺間を滑走路として使用できる様に真っ直ぐ敷設されました。

滑走路活用を想定した16号

かし、時は戦時下。
資材不足等の問題もあり、計画は予定通りに進みませんでしたが、
整備計画は戦後も続けられ、昭和24年に完了しています。

相模原病院は旧東京第三陸軍病院

現在の街並みは、当時の人達のお国の為、村の為という想いが実ったものではないでしょうか。

byまさし

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