2017年2月号, 橋本ヒストリージャーニー

歴史あり【2017.2月号】

川に架かる国道16号の両国橋から香福寺、秋葉大権現辺りまでは
橋本宿という宿場町でした。

宿場の入口には幕府の高札場(法令などを人々に周知させる為の物)があり、
両国橋から秋葉大権現に向けて下宿、中宿、上宿と名付けられていました。

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戸初期、三代将軍家光公が静岡県・久能山から日光へ宝物を運ぶ際、
混雑などの恐れがある東海道を避け、小田原から当麻、橋本、熊谷ルートを
選んだ事から宿場町として位置づけられていったようです。

の後、江戸中期以降には、寺社参詣が流行。
大山参りも盛んになり、最盛期には人口100万人の江戸から一年に20万人が向かったと言います。
そんな時代、武蔵野・秩父方面からの参詣客は、御殿峠を経て両国橋にたどり着きました。
橋から上流80m付近と東橋本の蓬莱橋付近にあった精進場で
「六根清浄」と唱えながら体を清め、橋本宿に宿泊したそうです。

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時の賑わいを知りたいものですが、天保12年(1841)の橋本大火で文書類消失の為、
詳しい資料がほとんど残っていません。
そして現在、鉄道などの普及で大山道の人通りは激減。
橋本宿は宿場では無くなってしまいました。

かし、リニアの停まる橋本は
現代の宿場町として復活する可能性もあるのかもしれません。

byまさし

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