2016年10月号, 橋本ヒストリージャーニー

歴史あり【2016.10月号】

戦国時代の香りが薄い橋本ですが、実は甲冑が発掘されています。
橋本2丁目交差点の一角にある、3つの石碑が建っているあの場所です。

向かって左は第2次世界大戦の戦没者を祀った忠魂碑。
中央は日清・日露戦争の戦没者を祀った山形有朋元帥の揮毫による表忠碑。
そして、右が供養塔。戦国時代、武田信玄と北条氏康が戦った三増合戦の落武者を供養するために建立されました。

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三増合戦は、1569年10月、信玄率いる2万の軍勢で小田原城を攻める事から始まりました。
しかし城から出てこない北条軍を見て小田原城攻略を断念。
甲斐(現在の甲府)へと引き上げます。

その道中の三増峠(愛川町)で八王子から来た北条氏照、氏邦隊と衝突した戦国有数の山岳戦。
そして、この戦で双方たくさんの死傷者がでました。

その中の北条方の武士が滝山城への引き上げの途中、
橋本付近で道に迷い力尽き自刃したのが供養塔の辺りだと言われています。
当時の村人達は哀れに思いこれを手厚く供養したようです。

古くは享保21年(1736年)に供養塔と呼ばれているとの記録も残っているようです。
明治31年に立て直し、現在の石碑になりました。駅近のあの場所は様々な想いのある所のようです。

byまさし

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